エッセイ

大切な人を愚痴のゴミ箱にしていませんか?

いつもニコニコ笑顔で感謝の気持ちをもって日々を過ごす。そんな気持ちのいい毎日を送れたらどんなにいいか。

だけど現実は自分の思い通りにいかずイライラや不満が募っていく。そのストレス発散として誰かに話を聞いてほしいという人は多いと思います。

私は昔から割と相談役や聞き役になることが多かったです。

建設的に悩みを解決しようとしている人やただ自分がいかに大変であるか聞いてほしいだけの人。

ほとんどがただ自分の大変さを分かってほしい、ストレスを吐き出したいから話すといった人でした。

言っても仕方のないことを言っては嘆くことをグチというならば、私の母親はまさにグチの天才。子どもの頃にグチの聞き役としてワケも分からず聞かされていた身としては、「よくこんなに不平不満が出てくるな・・・」といった気持ちでした。

子どもなので明確に気持ちを言語化できるはずもなく、いつもモヤモヤを抱えていました。

「あ~あ。なにかいいことないかな。」

ため息まじりに呟くのが母の十八番。

母はいつも、幸せが向こうから勝手にやってくるのを待っている人でした。

旧友にもいた。答えの出ない悩みをひたすらこねくり回し、解決策をこちらがアドバイスしてもすぐ「でも・・・」「だって・・・」の無限ループ。

聞き役として感じたのは彼女たちは答えを求めているわけじゃない。もっと言えば私のアドバイスなんてどうでもいい。

ハナから聞くつもりなんてない。

ただただ共感され、自分の話を満足するまで聞いてほしいだけなんだ。

そのことに気づいてからは、あまり深く感情に同調しないようになりました。私は昔から人の感情に感化されやすい性質で、すぐに疲れてしまうんです。つかず離れずが一番。

「自分がなんとか解決策を探してあげなくちゃ」

そう思う自分を割り切るには葛藤もありました。

「私は非情で冷たい人間なのでは?」

罪悪感が常に頭をよぎる。だけどその思いを振り払い、自分を優先させることに決めました。

「いま忙しいから」「時間がないから」

のらりくらり逃げ続けていると、そのうち私への「お悩み相談」は減った。

私は聞き役として失格となったのでしょう。

「お悩み相談」は私じゃなくてもいい。

その証拠に彼女たちのターゲットはすぐに次の人に移りました。

人間関係において一方的というのは破綻しやすい。たとえ相手が一見快く話を聞いてくれていたとしても本心でどう思っているかは分からないものです。

だからこそ依存しないように重荷にならないように常に気をつけたいんです。

大切な人をグチのゴミ捨て場にしないようにする。

特に子どもや後輩、部下など自分より立場が弱い人に不平不満を言うのは控えたいもの。

その人たちの立場になって考えてみる。グチを言われたところでどうすることもできないし、聞くしかない状況に立たされているだけ。

グチを言うなというわけではなく、相手の状況や立場を考えたうえで、相手を思いやり、一方的になっていないか考える。

「私はこう。あなたは?」と聞く姿勢をお互いに作る。

そして自分の話を聞いてくれる人に感謝する。その気持ちを言葉で伝えるのも大事ですね。

「聞いてくれてありがとう。おかげでスッキリした。」

たった一言添えるだけで相手もまた気持ちよく話を聞いてくれるのではないでしょうか。

「お互い様」の精神が良い関係を長続きさせる秘訣だと私は思います。

グチを聞いてくれる相手はけっして当たり前の存在ではないです。相手が疲れてしまったのに気づかず、いきなりフェードアウトされるといったことのないように気をつけたいものです。

大切な人を失いたくないなら相手の気持ちに鈍感にならないようにしたいですね。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

  • この記事を書いた人

つばめ

生きづらさを抱える豆腐メンタルのアラフォー主婦。夫・わたし・小1長女の3人暮らし。「思い込みの力によって人は変われるのか?」実践中。自分育てと子育ての両立が目標。いま、ワクワクする夢中なことをゆる~く発信。

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